ウネリウネラのファーストブック「らくがき」出版から約1カ月。読んでいただいた方々から、反響やおたよりがたくさん届いています。

うれしくて本当はそのすべてをみなさんに紹介してしまいたいくらいなのですが、それではあまりにもったいない気がして、まだ大切にしまっておきます。

でもひとつだけ、離れて暮らす友人と「らくがき」をめぐるエピソードをお話させてください。


先日、首都圏にいる親友から、「らくがき」を読み終えたとの連絡がありました。

私と彼女が知り合ったのは、互いの子どもたちが通っていたこども園でした。世間一般から見れば「ママ友」といったりするのかもしれませんが、敢えてそうは呼びたくありません。

そんな安易な関係性で束ねたくない、私の心の拠りどころのような存在だからです。

とても明るくて聡明な彼女は、素敵なピアニストでもあり、福島に越してくるまで私の長男は、彼女にピアノを習っていました。

彼女が「本、届いたよ」と教えてくれたのは先月24日。「らくがき」はイラストや写真も多い120ページほどの小さなエッセイ集です。「一気に読んだ」という感想も多くいただきます。

2週間もかけて読んでくれたのは、感性の鋭い彼女が作品をじっくり味わってくれたからにちがいありません。けれど、あの小さな本にそれだけの時間を要した理由は、おそらくもうひとつあります。彼女は目の難病を抱えており、視野の9割以上を失っているのです。

拡大読書器という機器を使って、文字通りひとつひとつ丁寧に文字を拾いながら、私たちの本を読んでくれたことを思うと、胸がいっぱいになりました。

「らくがき」が完成したら、彼女には真っ先に送ろうと決めていたのですが、実は私はしばらく、それをためらっていました。

送る段になってはじめて、私がこの本について、点字版も音声版も、何も用意してこなかったことに気づいたからです。

彼女が電車を乗り継いで日本点字図書館に通い、さまざまな訓練に取り組んでいたのを、いつもそばで見聞きしていたのに、そうしたことに一切思い至らなかった自分に、愕然としました。本を送るなんて彼女の負担を増やすだけではないか。そう思い始めたのです。

けれどそのうち、完成した本を彼女に届けられずにいること自体が、耐えがたくなってきました。くよくよ自分勝手に悩んでいることよりも「彼女には誰より先に届けたい」と思い続けてきたことのほうがはるかに大事だと、手紙を添えて急ぎ郵送しました。

そして先日、彼女がくれた「らくがき」の感想を読み、私のそうしたためらいは、全くピントのずれたひとりよがりな悩みだったと、はっきりわかりました。

そこには「らくがき」に対する的確な評と、あたたかい励ましの言葉がぎっしり綴られていました。

やはりもったいないので、すべてはご紹介しませんが、こんなことが書いてありました。

毎晩子どもが寝たあとの時間にワインを用意して拡大器でゆっくり味わいながら読ませてもらうのが、このところ私の最高の時となっていました。

(中略)

早くもっと読みたい気持ちと読み終わってしまうのがもったいない気持ちとの間で、ひとつ読んでは、幼い頃のことや今の子どもたちのことや、いろんなことを考えて、余韻に浸っていたよ。

子どものピアノのレッスンもそこそこに、何時間もおしゃべりし続けていた日々。未明まで飲み明かしたクリスマス。私の3子の出産時、夜中にもかかわらず、うちの2人の子たちを快く預かってくれたこと……。

彼女と過ごした日々がくっきりと浮かび上がって、私はそのひとつひとつを、指でそっと大事に触っていきました。

はじめ苦戦していたスマホの音声入力もぐんぐん上達して、彼女が今くれるメッセージに誤字はないし、点字の勉強も続けているとのこと。楽譜も反転(黒字の紙に白で音符が書かれているようにする)印刷して、ピアノも弾き続けています。

本や新聞を拡大器で読むことも、彼女にとってはごく普通の、日常生活の一部でした。

自分の想像力のなさを恥じつつ、あの小さな本を丁寧に読んでくれた親友に、心からの感謝を贈ります。

ありがとう。